経年劣化を考える。

おはようございます。460キロ運転して珈琲豆を購入。楽しみは後でと言うがまだ飲んで無い。今度の土曜日に洞爺湖コハムに行き、味わいながら旦那と奥さんと三人で飲む予定。お袋を白内障手術の日時を決める為に眼科に連れて行ったら、先に片方の目が劣化が進んでいる言われ検査に総合病院で診断。違う病名で一ヶ月後に1日入院で眼球に注射。ビビるお袋を説得する。私も網膜剥離の初期段階でレーザー治療。要はスポット溶接。だらしなく叫んでしまった。先生あと何回打てば終わりますか。衝撃が凄まじくあの恐怖は忘れない。誰だって眼の治療は恐怖を伴うのだ。

人間90年も生きれば各パーツは劣化する。年老いて突然若返る事は無い。体の劣化を防ぐ為に努力して頑張る人はいる。それは認めます。しかし普通の人は長生きすれば経年劣化をする。経年劣化をお袋に理解させるのが一苦労。劣化したからと簡単に交換は出来ない訳で。人間の生き様をお袋を通して観察する日々なのです。塩梅良く生きて人生を終えたい。長生きすれば良いとは限らない。程良いタイミングを考えながら、自分の人生を終えたいと考えるようになった。ただ自分の人生を自分で終えられない日本のシステム。絶対に避けたい認知症。子供には迷惑を掛けたく無いしな。親を観ながら自分の将来を考える日々なのだ。