需要と供給の関係でパーツの入手が変わる。

おはようございます。ちょっと旧いクルマのパーツはビジネスが成立し無いと、ボランティアでは供給は無い。自分が好きで所有しているクルマは永遠にパーツが供給される、と思っていたら大間違い。需要と供給が成立する台数が必要となる。日本では自動車税が大幅にアップするタイミングが訪れる。長く所有して何が悪いと国に文句を言いたいが、結果として一台のクルマを乗り続けるのは大変なのだ。純正パーツは徐々に欠品となる。維持管理が追い込められる。しかし使えるクルマは直し使い続けたいと考えて何が悪い。昨日もクラシックで壮瞥町まで風呂に入りに行く。私はクラシックに余り負担を掛けない程度に運転を試みる。機械モノは使えば使う程にパーツは消耗する。適度に動かすのがクルマの負担軽減に繋がると私は考える。

この適度に動かす頻度が難しい。私の場合クラシックは趣味車の世界に入ってしまった。たかだか1993年式なのだが、私が77歳までは元気に安全に動いて欲しい。となると後12年の維持管理が必要。毎年問題なくパーツが入手出来るとは言い切れ無い。だから今から各パーツをストックするかと考えるべきか。人それぞれにクルマの接し方は違って当たり前。クルマは維持管理費が当然掛かる。毎日運転する人は燃費を考える。自分にとって大切な宝物と考えるモノは、自分が決めたルールでそれぞれが維持管理をすればストレスが無い。人は人で自分は自分なのだ。あらら伊達は明け方に雪が降ってしまった。6時15分ウォーキングスタートなので準備をするか。年齢と共に人もクルマも程々に動けば、継続が可能なのだと考えられる様になった。リアルな経験は役に立つと理解出来る年齢に私もやっと辿り着いたようだ。