郵便局の民営化は正しかったのか。

おはようございます。昨夜は北海道でまさかの熱帯夜。暑くて目が覚めたのが24時。暑くて寝れない。北海道は真夏でも朝晩は涼しいのが常識だった。全国の皆さん生きてますか。残暑お見舞い申し上げます。今年の夏は異常ですね。さて、ゆうメールのサービスがまた変更になるようだ。日曜日と休日の配達は休止となっていた。10月2日土曜日から土曜日配達の休止が決まった。民営化となった郵便局が加速的にサービスの鈍化が目立つ。本当に郵便局の民営化は正しかったのか。JRの民営化で田舎の廃線が加速した。ビジネス的に成立しないと判断される地域のJRは全国に数多く存在。皆が都市部に集中する事を防ぎたいから、国は分散化を目指す始末。しかし郵便局やJRを民営化する事で、地域から消えた事実も数多い。何でも民営化が正しいとは私は思わない。ビジネスとして成立し難い地域も有るのは事実。宅急便が運べない地域だって存在するのだ。しかし郵便局は日本全国何処でも一枚のハガキを届けた。郵便局が有れば生きていけた。それがコンビニに変わろうとしている。しかしビジネスとして成立し無ければコンビニは出店しないのだ。

生きていく上で無くては困る機能は有る。電気や水道も無くては困る。現金も無くては困る。公共料金の支払いも必要だ。限界集落にコンビニは無い。しかし全国津々浦々に民営化の前は郵便局は有ったのだ。確かに人は手紙やハガキを利用する頻度は減った。ネット社会にはなった。しかし多くの高齢者はスマホを持って無い。PCを使いこなせる高齢者は限られる。国は何でもスマホを活用すれば事が足りると考える。残す必要性と省く必要性の判断を間違えると、困る国民が存在すると言う事を受け止めて欲しい。郵便局のゆうメールのサービス変更は、私が考えて発送日を決めればいい問題。しかし民営化された郵便局が在らぬ方向に行く事は大問題なのだ。