スニーカーのリペア完了。

おはようございます。リペアを行ったスニーカーが仕上がり北海道に届いた。やっと手元に戻って来たのだ。モノは経年劣化すれば新たなリペアが必要となる。30年前のスニーカーだが今履いても素敵だと私は考える。保守的と言ってしまえばそうだが、私は普遍的なモノが好きなのかも知れない。良いモノは時代に関係無く良いのだ。変える必要が無いモノは変える理由が無いと私は考える。過去のモノが好きなのでは無い。良いと思ったモノがたまたま普遍なモノだったのだ。

意匠とは将来も優れたモノが誕生する。ただ歴史に残るモノは簡単には生まれない。

このスニーカーはセメント方式なので、英国王道のグッドイヤーウェルトとは違う。しかし軽さを重視したスニーカーをと考えるとセメント方式には理解出来る。30年履けたのだからクォリティは高い。

美しい靴だ。日本のトリッカーズ代表からの連絡で、このスニーカーを復刻すると聞いた。発売時期とカラーはまだ解らない。しかし私の行動がキッカケになった事は嬉しいのだ。このスニーカーは色違いでもう一足有る。

こちらもソールが剥がれて修復した。このスニーカー達は夏の半ズボン着用時しか履かない。私は夏用の靴と決めている。それが私の流儀なのだ。一年中履いても何も問題は無い。いや履くべきだと私は考える。しかし私は夏しか履かない。拘りでは無い。私は靴に対しそれぞれ思いが有る。その思いに即した履き方が有ると考える。人それぞれモノに対する愛着は違って当たり前。それに対して意見などおこがましい。それぞれがモノで生き甲斐を見出せればそれで良いのだ。