メインPCが復活した。

おはようございます。東京でPC修理専門店に持ち込み、無理だから諦めてと言われたMacなのに。室蘭の北海印刷のデザイナーさんに相談したら、バッテリーが原因らしいと判明。バッテリーを交換したら復活した。PC修理専門店では診断料を支払った。アレは何だったのか。私は疑う頭が働くようになってしまった。消費者は何にでも疑う習慣が必要なのか。使えるモノは直して使い続ける。その考え方をまた実践した事は嬉しい。しかし専門職とは何と問いたい気分なのだ。

今年で10年目のMacBookPro。一年振りに可動した。まだ2年位は普通に使えるとデザイナーは言う。使えるモノは使う義務が有る。本体パーツ二度目の交換だ。

交換したバッテリー。家電製品なので消耗品で有る。しかしこの原因究明が出来なかった専門店は相当問題だ。誰もが知る看板を出している。私は大人なので大騒ぎはしない。しかし改めて感じた。ある程度は何でも直ると考えよう。モノは限界まで使い続けてこそ意味が有ると私は考える。そうだ先日、某国産時計メーカーが販売した時計のパーツ供給は10年と言って大炎上。そんな考えの会社なのか。言い方が間違えたのか。でも多分に買い替えの心理は有るのだ。消費者は一生モノとして買う人も居る。ヨーロッパのクルマメーカーは永遠にパーツを供給する場合も有る。クルマと比較したら時計のパーツは論外だ。一言の発言でブランドの価値が問われる。使い続ける価値観を理解出来ないブランドは、ブランドとしての道は閉ざされる。